はじめのいっぽ

 最近、親しい友人が「お茶」にハマっている。
「お茶」っていうのは、クルクルッっと器を回してから
頂いて、『ケッコウなお手前で』なんて言っちゃったりする
アレです。

実は、ぼく自身もちょっと前にお茶が気になってた時期がありまして。
キッカケは、数年前、母親が京都に遊びに来た際に、親孝行プレイ(笑)の
一環として、大徳寺に行った時、そこのお寺さんで頂いたお抹茶が
意外にも(失礼)美味しかったという事と、何よりもお茶菓子が
美味しかったから(笑)ま、それだけではないんですが。
「お茶」という事についてまわる、お作法とか、その他諸々のしきたりを
取り払って、素敵な枯山水の庭を観ながら、単純にお抹茶を頂く
のがすごく心地良かったんです。
で、そこで枯山水の見方とか、千利休にまつわる話なんかをお寺の
人が説明してくれるんですが、これがまた面白くて。
『この岩を〜に見立てて云々・・』なんて聞くと、その想像力の
働かせ方が、大好きな路上観察にすごく似てて、身近に感じられましたし。
でも、現在ある「茶道」の形式が、そういった身近に感じられる
「お茶」とは似て否なる物のように感じて、興味が薄れていってしまった
んです。

で、その友人も、いわゆる「茶道」というよりも、お抹茶をたてて
飲む事にハマったそうで、自宅でお茶を楽しむべく、老舗の
一保堂茶鋪へ抹茶を買いに行った所、『抹茶スターターセット』なる
モノを発見。その名も「はじめのいっぽ」
即、購入し、シャカシャカとお茶をたてまくってるらしい。

初めて書く日記なので、タイトルに「はじめのいっぽ」とつけたら
ふと、そんな事を思い出した次第なのでした。