山登りの果てに、枯山水のルーツを見た!後編(妄想編)


ヒトは何故山へ登るのか?


「そこに山があるから!」


否!!


登山は「浄土」への道なり!!


・・・なんて、大袈裟ですが(笑)


しかしながらですね、コレこそが今回の登山で妄想しちゃった事、
枯山水庭園のルーツへと繋がるキーワードなのです。


「登山」、「浄土」そして「枯山水」。
この3つがいかなる関連性を持っているのか、説明して参りたいと思います。


京都の嵯峨野にある「苔寺」の庭園は、現存する庭園としては最古のモノなのだそうですが、
(既存の庭園は、この「苔寺」の庭園から何らかの影響、もしくは模倣する点が多くみられるそう)
この庭園の制作意図は、「あの世」の世界観を、ミニマムに再現した、
「ヴァーチャル・あの世」だと言われています。


これの作庭にあたったのが、「夢窓国師」(ウ、ウサン臭すぎる・・・(笑))
と呼ばれる石立僧(作庭を手がける僧侶をこう呼ぶ。夢窓国師はその始祖と言われている)で、
彼は、なんと30年もの間、様々な知識を得たり、修行の為(大変「徳」のある人だったらしく、慕って来る僧などから逃れる為だとも(笑))に、
全国各地を流浪していたと言います。


そこで!


こっから妄想開始です!(笑)
足場もろくにない、荒々しい岩に、苔が鬱蒼と張り付いた、昼なお薄暗い山道を歩いていると、
コレはもうまさに修行としか思えなくなって来るワケですよ(笑)


かつての石立僧達も、修行の為に、このような荒涼とした山々を登ったのではないか?


何の為に?


それは、「浄土」を目指して。


思うに、こういった高い山々は、天国、つまり「浄土」に最も近くにある場所、
もしくは「浄土」そのものとして捉えられていたのではないでしょうか?


それを証拠に、高い山には「浄土」と名のついた場所が多数存在します。


そして、低地とは一線を画した、地獄とも極楽ともとれる幻想的な風景から、その道すがらや山頂の景色に「浄土」を観たのではないでしょうか?


少なくとも、ぼくは枯山水を通して、登山の最中目に入る景色に「浄土」を観ないワケにはいきませんでした。


「夢窓国師」なんて名乗るくらいですから、そのくらい夢想してもおかしくはありません!(笑)


そして、彼は晩年、作庭の集大成ともいうべき苔寺の庭園を手がけるのです。




な〜んて事を妄想してしまったのでした(笑)


しかしながら、様々な作庭家が、主にその晩年において作庭に執着するようになったり、
現代人も、歳を重ねるごとに庭の味わいが解る様になったり、登山に没頭するようになるというのは、
案外、無意識のうちに「浄土」を目指しているからなのかもしれませんね。


ふひぃ〜。何だか今日の日記は書くの疲れました(笑)明日はお気楽にステキなペンションのお話をします^^当ブログは、モンド雑貨 Web shop KANIBASE.COM店長の、お気楽日記です♪